見ることは信じること。

hachiya2004-03-13

ICCでの視聴覚交換マシンにあわせた、シンポジウムに参加。
前の金曜日、シンポジウム用の資料を作っていたのですが、最初はパワーポイントで作っていたけど、ほかの研究者のみなさんもおそらくパワーポイントでの資料作成になるだろう、と読んで、途中からあえてスケッチブック+手描きのイラスト+書画台カメラで勝負することしました(でも、自分の字は汚いので、字の部分は出力を切り貼り)。※1

この「勝負」とかつい書いちゃうような負けず嫌いの性格が、自分の良い点でもあり、悪い点でもあるのだが、要するに、シンポジウムなんだけど「興行」とか考えちゃったわけですね。※2
結果、自分のプレゼンはまあまあだったものの、後半のシンポジウムのときの「科学者の方って、アプリケーション(ここでは応用の展示物の意味)つくるのヘタですよね」とか言ったのは、少しやりすぎだったようで反省。要するにここはヒール(悪役)になって、そこから話を転がしたかったのですが、イマイチ乗ってきてはもらえませんでした。
本当は「いや、そうは言っても八谷もエンジニアリングに難があるのは事実だし、一人で全部やる必要もないですから、タナカノリユキ+下条さんみたいに、共同でいろいろ面白いことやりましょうよ」という流れに引き込みたかったのですがちょっとそういう流れにはのせられず。
ただ、あのメンバーのなかで、僕の意図をわかってくれて、「汗くサイバーといわれた HMDの研究を10年している前田です」と切り返してくれた前田太郎さん(元東大舘研・現NTT)は、研究している内容、発表のやり方ともにすごく面白い方でした。
耳の後ろに電極刺激を与えて、人間をラジオコントロールするやつとか最高でした。
(見せ方によっては、ちょっと危険な印象をあたえるとは思いますが)
前田さん、デジハリの講義のゲストに来てもらいたい、と思いました。

id:AYS:20040313


※1追記。手書きでのプレゼンにしたのは、「差異」を作ろうという意図とは別に、
「資料にノイズを入れたかった」のです。
つるつるのパワーポイントのプレゼンを受けた後、「ふんふん」とその場では理解していても、数日たつと全く思い出せなくなることがよくあって。
なんか個人的には、見た目のノイズやテクスチャーというのは、記憶するにあたって、非常に重要な「ひっかかり」になっているように思えてならないのです。

※2追記。下条さんはカリフォルニアからビデオ会議で参加していて、音声にノイズは多いしビデオ会議だし、で、眠る人多数かと思ったのだけど、実はかなりの人が興味を持って見ていた。寝てたのは、ほんの少しだった。(そしてそのことに一番興味を持った)。
あれは多分、その場で見せていた内容のおもしろさのほかに「下条さんの顔が、アップで大きく映し出されている」というのが大切なんだな、きっと。
そうすると、観客の方には、「下条さんがこちらを見ている」という感覚が生まれて、それによって容易には寝れないプレッシャーが与えられるのではないかと。
羽根さんの「コーチンセミナー」で、「講師は動き回って、生徒の側にまんべんなく移動しましょう」というのと、同じ効果を出すのだと見た。
実際、大きめの会場の時はそれやってみようかな。
(例えばジョブスやゲイツさんも、発表会では似たようなことやってますね。)