ナウシカを待ちながら。(長文)

もうすぐ出る雑誌の原稿が来ていて、校正していたのですが、「なんでOpenSkyを始めたのですが?」と聞かれることが多いので、そのへんちょっと整理しておこうと思って書きます。

メーヴェ作りたいなぁ、というのはたしかエアボードの初期のころ・・・つまり1997年ごろ考えていたようで、そのころ吉澤くんと立川でエアボードの起動テストやりつつ飲み屋で雑談したり、あるいは1999年10月に龍勢祭りを見に行った帰りに揚力の計算をモスバーガーのレシートの裏で計算して、当時は「お!パイロットの体重50kg、翼面積8m2、機速が12〜13m/sくらいあったら行けるのでは?」とかざっくり思っていたりしたのです。

ただ、この時点ではそこまで本気だったわけではなく、具体的に考え始めたのは2000年に「インパク」の編集長を依頼された頃。この時に「オープンソースメーヴェを作ろう」という企画を考えて、総務省の人に提案したのですが、あえなく却下されたんでした。「ネット上ではなく、リアルにやるイベントは好ましくない」とかの理由で。ただ、今冷静に準備期間を考えれば、このときやってなくてよかった〜とか思いますが。

で、没になった後は「じゃあ自分でやったる」と思っていたのです。(耳の大きなイヌを飼い始めて「テン」と名付けるあたりは、その予感?)
http://www.petworks.co.jp/~hachiya/ten_photo/ten_photo.html

テンを飼い始めたその翌年2003年に、熊本市現代美術館での個展の話が来まして、それは作品総出演の回顧展的な個展になる予定だったのですが、「地方でやる展覧会だからこそ、なにか新作作りたい」と思いました。それが2003年の1月。(これがOpenSkyプロジェクトの実質の開始点です)

このころの世界情勢は、といいますとイラク戦争が開戦する直前でした。このころ、椹木さんたちが「殺すな」の運動をやっていたりしたのですが、
http://www.tententen.net/korosuna/index_s.html
それには精神的には賛同しつつ、一方で「でも日本でデモやっても、絶対にブッシュは戦争やめないだろうな〜」とかも考えていました。

そして、自分がアーティストとして今、どんな作品を作るべきかを悩んでもいたのです。当時の自分としては、ブッシュのことより「すぐにアメリカに賛同する(せざるを得ない)日本ってどうよ」と思っており、またそれが政治の問題であると同時に、対米貿易などの経済や安全保障を考えれば、選択肢としては「しょうがないかも」となってしまう現状があって・・・それがなんかイヤでした。

で、このころ、「なんかこの状況は見たことある」とか思うわけです。それはコミック版「風の谷のナウシカ」なんですが。

コミック版では、大国トルメキアが風の谷に来る理由は、異教徒の国「土鬼」との戦争へ参戦をせまるためです。
(裏の理由としては巨神兵の起動石を回収する、というのはあるけど)
長であるナウシカは当初は反対しますが、風の谷の民のことを考え、城の老人数人と自分、それとガンシップメーヴェのみでこの戦争に関わることを決意します。で、実際には戦闘から離脱して、調停の道を探るわけですが。

このとき「日本国の長が小泉ではなく、姫ねえさまが首相だったら」とか(笑)
「本当に戦争を回避できないのか?風の谷の人々が「パンか武器か問う」ように世界の人が生きる方法はないのか」とか考えるわけです。それは一見非現実的に思えるかもしれないけど本当にそうなんだろうか?とか。

(米国に反対するのは)非現実的、とか言うのは案外自己暗示じゃないの?と仮定したわけです。

じゃあ僕は技術的にももっと実現不可能そうに見えるメーヴェ・・・武装のない、調停のための美しい飛行機を現物として作って見せて、で、ナウシカを待とう(笑)、と、考えるわけです。

いや、ナウシカを待つ、というのはまあ半分冗談なんですけど、でも作品作るアーティストとしては、最初に自分のメッセージが来るよりは、まずは見た人にどこかで「希望」を感じさせるものを作りたいな、とかも思ったので、「よし、そろそろメーヴェを本気で作るか」となったわけです。
(いや、でも冗談抜きで、映画版のナウシカ観た後「彼女のように生きてみたい」と、思うからみんなあの映画が好きなんだと思うし)

同時に、現在、日本国内で設計・生産された飛行機は一機もない、と知り「じゃあよけい目立つ!」とか考える下心もあったわけなんですが。だから「メーヴェ作るのなんてムリ」といろいろ言われるほど、実はありがたかったわけです。難しいのなんて最初からわかっていたし、それに簡単なことだったら作る意味がなく「ある種、非現実的な」ことをやるのでなければ、常識を変えられないから。
(そしてこれは「日本で飛行機が作れないのも自己暗示なのでは?」というのと符合します)

とはいえ、個展開催までは実質3ヶ月程度しかなかったので、まずは1/2スケールのものを作ってみることにします。4/19の個展開催までに、果たして間に合うのか?
そしてプロジェクトタイトルを「スカイ=ハイ」にしょうかな・・・と思ったとたん、ドラマが始まってしまった(「お逝きなさい」)!どうしよう!
http://www.camk.or.jp/event/exhibition/hachiya/index.html
(そのうち、後編を書くかも・・・)